1959年
東芝エンジニアリング創立
東芝エンジニアリング創立
昭和34年7月23日 銀座のマツダビル会議室で、創立総会を開催、定款を定め、役員を選任した。
創業時の経営陣は、次の通りであった。
創立時の組織は5部(総務部、業務部、技術部、サービス部、作業技術部)で課はなく、所属人数は46名(内女子3)と役員4名を加えて総人数50名。
本社を、マツダビル第2別館においたが、間もなく手狭となったので昭和35年3月28日に、明産ビル6階に移転した。
発足時の収支目論見書では、6期には売上高17,593千円、純利益1,253千円、人員197名を計画していた。
第1期決算報告によれば、業績は
営業収入 45,347千円、営業利益 7,129千円、当期利益 2,535千円。
人員の増強を図り、期末に於いては総人員127名に達した。
受注も逐次活況を呈し予想以上に業務は発展、好調な滑り出し。
電算機の将来性にかんがみ、保守業務を担当させて欲しいと東芝電算機担当役員に申し出たが、話は進展をみなかった。
翌36年2月、東芝通信機事業部電算機販売部で、長期5か年計画において、電算機のサービスを是非援助してほしいと相談があり、昭和36年春、東芝通信機事業部長 宮地取締役の要請により、通信機生産管理部サービス課(小向工場)へと応援として当社サービス部員3名を実習に派遣したのに始まる。
その後、第1年目(36年)25名から始まり、第5年目(40年)125名の予定(事務用、工業用をあわせて)であることから、急遽過年度卒業者を募集し3名を電算機サービス要員に配置。
37年度以降毎年20〜100名以上をハードウェアサービス要員として採用した。
TOSBAC-2100の1号機が34年に納入され、これに引き続きTOSBAC-3100が完成し、36年12月にはTOSBAC-4200,3200が発売された。
電算機に類する製品としてデータロガーが開発され、組織としては34年にはじめて通信機事業部電子機器技術部に電子計算機課が設けられ、生産は小向工場があたった。
40年12月1日、電算機業務の発展に伴い電子計算機部が設置され、部長に茂木 繁 氏が就任した。人員は部長以下113名であった。
39,40年不況により東芝府中工場、同三重工場では、当社駐在員の引き揚げが要請されたが、電算機関係は発展途上で多忙を極めていたので、駐在員の16名を電子計算機部へ移動した。41年8月末の総員は、167名で平均年齢24歳弱であった。
42年4月、新卒を加え人員は300名となり、人員の急増により本拠を本社より東芝小向工場内に移した。
同年4月には東芝が工業用電算機の設計製作調整関係を小向工場より府中工場へ移転したので、当社も同関係者16名を移動し、4月1日付で電子計算機府中電算室を新設した。
43年3月の電子計算機部員は393名、電子計算機部売上高は43年度通期で約300百万円まで成長。
43年5月、倉石取締役が就任し茂木部長に代わり電子計算機部の運営にあたることとなった。
創立20年時点の事業所や会社施設、厚生事業、記念行事は以下の通り
東芝エンジニアリング株式会社
二十年史
1979年12月
初期の社旗
創立5周年を記念して社旗が制定された。T(東芝)と、E(エンジニアリング)を組み合わせ、ブルーに社名と社標Tの部分は金糸で刺繍
『二十年史』,東芝エンジニアリング,1979.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11956950 (参照 2023-10-22)
最終更新日時: 2023/10/22